ヨガでは毎回テーマを持ってレッスンをしている。アクティブなヨガであっても、リラックス系の中医学ベースの陰ヨガであっても、毎回違うことを行う。
今日はいつもと少し異なるムドラーヨガ。
ムドラーとはサンスクリット語で、手印とかジェスチャーという意味なのだが、手の形を作り、ヨガのポーズと組み合わせることで、いつものポーズがどんなふうに手の形を変えたことで変化を感じるか試してもらうレッスンをしました。
ムドラーにはとても大きな意味があります。ブッタやイエスキリストも日本にある仏像もムドラーをしています。
それには深い意味があるのです。
しかしこういった話をするとヨガにならないので、ムドラーを作りながらヨガのポーズ誘導をしました。
この1週間、どの店舗でもやってみましたが、終わった後良い反響がありました。
生徒の皆さんから、指先までエネルギーが通っているのを感じた! こんなふうに手を使うことで、身体感覚が変わるとは。これは面白い! またやりたい!など、、、。
手の先、足先までエネルギーを通すことは結果である。
ただ指先にエネルギーを感じてくださいという言葉では、5年、10年経過しても何も変わらない。
よく社会人としての常識を持ちなさいとか、プロ意識を持ってという言葉が、相手にとって何を意味するのかわからなければ、何度同じ事を言っても一方通行で終わる。そして何度も同じ事を言ってもまだ治らないという互いにとって非常にストレスがかかる。
もちろんある時、あ〜こういう意味だったんだと気付く日が来るかもしれない。でも受け取り手がそのことに対して向き合い続けていない限り気付くことはできない。
そのために何をするのか、どのようにしたらそれを感じてもらうことができるかを誘導する、導くことが大事だと痛感する。
受け取り手はそれを理解して積み重ねの中で自然と身に付いていくもの。
教える情熱と、学ぶ意欲があってこそ、両者にとってのキャッチボールが良い方向へと導く。
ムドラーには力がある。言葉では言い尽くせない、足りない事をムドラーが教えてくれる。
そこに魂のような力というのか、その対象の存在にエネルギーが無ければ、どんなに言葉上手でも難しい。
営業トークが上手な人が、ある商品を言葉巧みに宣伝して買ってもらえることに成功しても、粗雑な商品なら2度と買わない。
しかし言葉が下手でも商品自体がとても良い場合、運良く買ってもらえれば商品は良いので2度目はある。
ただし言葉が下手であれば、商品を手に取ってもらえることはとても少ないので、チャンスは非常に少ない。
となると素材の力がまず前提にあって、それを引き出す言葉があって、それからその価値を認めてくれる相手がいて成立する。
私はいつも自分の言葉下手が、対象となるものへの力があるおかげでずっと救われてきた。
ただその対象となる力を、もっとすごいんだよと伝えるには、言葉を適切に伝えられることが大事。
トライ&エラーの繰り返しばかりで自分で嫌になるが口先上手には決してなりたくない。それなら仕事に支障が出ても口下手の方が自分は良い。
正確で、洗練された無駄のない言葉をスッキリと仕事では使えるようになりたい。